(今のところは)トルコ生活

トルコ在住プログラマーです。頭脳はよく,心も傷つくことがありません。

メスト・エジルの代表引退とその理由から垣間見える事情についての雑感

ワールドカップ盛り上がりましたね。巷ではフランスのサッカーはつまらなかった云々と言われてるようですが私は強いフィジカルと高い技術に裏打ちされたサッカーで非常に楽しめました。

その対極で残念だったのがドイツ代表でしたね。グループリーグ敗退で韓国にも負けて最下位でした。

 

エジルが主にドイツサッカー協会グリンデル会長とドイツメディアの人種差別を理由に代表引退を宣言しましたがなかなか興味深い事を発表しましたので考察を加えたいと思います。

彼の3部分に渡る英語での主張は以下からです。

I/III

II/III

 

III/III

 


なお私はドイツ語は読めませんのでドイツメディアが彼をどう書いていたかはさっぱりわかりません。彼の英語での発表とトルコ在住経験を元にこの考察を書いています

結論から言うと彼が糾弾された写真に政治的意図はなかったとの主張ですがそれは怪しいと思います。
少なくともエジルはエルドアンに好意を抱いていると考えられます
個人として好意を感じるにはいいのですがやはり彼の公人性を考えると好意を公にすべきではなかったとおもいます。
もう一つは彼はドイツ人でありながら精神的にはかなりトルコ人で中東的な考え方を持っておりもしかしたら西欧的価値観を理解してない可能性もあります。ドイツ的価値観との衝突は不自然な帰結ではないと思われます。

このポストでは私はトルコ的価値観と中東的価値観を、ドイツ的価値観と西欧的価値観を同意義で使っております。


彼のトルコ的価値観をよく表すのは彼が主張したpartnerはどうあるべきかというくだりです。

I've always thought that a 'partnership' infers support, both in the good times and also during tougher situations.

(Part II / III)

彼はpartnerは楽しい時も苦しい時もお互いを支え合うべきであると書いていますが英語におけるパートナーはもっと意味が広く配偶者から一緒に卓球やる仲までぶっちゃけ全部パートナーですエジルが切られたと言っているパートナーシップは子供達にサッカー教えるボランティアともう一つはワールドカップ用の宣伝材料でありニュアンスとしてはビジネスパートナーに近いものと思われます。しかも一つ目は切られた理由が直接エジルのやったことではなく子供たちを保守派から守るためなのでそんな変な理由でしょうか。2つ目はまあ色々賛否がある行動を宣伝材料に使うかどうかなのでビジネス上の判断でしょう。
おそらくエジルの頭の中ではpartnerはトルコ語でkankaに変換されていたのではないでしょうか。直訳すると血の兄弟です。トルコに限らず中東文化圏ではkankaが例えば喧嘩していたら理由は聞かずにまず一緒に戦うのです。これが西欧や日本でしたらいそいで喧嘩から引き離すか仲裁しますので大きな文化的相違です。

一般的にドイツでのトルコ人は彼ら自身の文化圏を作ってそれを守ろうとするのでエジルの属してるコミュニティと代表としてのドイツ的価値観には齟齬があったのであろうと考えられます。エジルのinstagramを見ると彼も彼の婚約者もトルコ人であり母親たちもスカーフを被っているのでトルコ人性を大事にしている家族であると思われます。エジルはまた以前instagramにトルコ語で母親は我々のことを我々以上に知っていると書いて母親への敬愛を示しています。それ自体は当然いいのですがトルコ的家族ではかなり個人と家族の境界が曖昧でありこれも確立した個人によって構成される西欧的プロテスタント的価値観とは相入れません。以上のことからエジルとその周りでは中東的な価値観も大事にしていると思われます。

もう一つの中東的な価値観の傍証は学校に切られたので悲しいという事を書いています。

In all honesty this really hurt.

(Part II / III)

日本人的なリアクションであればこれは学校に迷惑をかけたくないとかアングロサクソン的であれば私は悪くないと書くところですが悲しいという情緒的なリアクションは非常に中東的です。

次にエジルがエルドアンに対してどう思っていたかでありますがこれは推測するしかありません。直接的には彼のinstagramにもfacebookにもエルドアンと公正発展党を支持する言動はありません。しかしアタチュルクの肖像や言葉をポストしてもいません。なぜこれが大事かというとアタチュルク好きであればエルドアン支持はほぼないからです。(トルコではアタチュルクの流れをくむ共和党は公正発展党の野党でありエルドアンはアタチュルクが国是とした政教分離を斬新的に緩めてきました)
エジルは度々テロに対して哀悼を表明しておりエルドアンは6月の大統領選挙にあたりトルコではいま内戦状態であり強いリーダーが必要だと訴えていましたのでエジルがエルドアン支持者であった可能性は高いと思われます。

(反対派はエルドアンが内戦の源であると見ます。票のためにクルド人の家を破壊したりしてますしシリアに侵入するのを決めたのも彼です。この辺にはエルドアン反対派にも反クルド派がいたりトルコ国内にはたくさん他のマイノリティもいますのでなかなか複雑な話になります。)

あともう一つの傍証はエジルが結構なイスラム教徒っぽいことです。(敬虔なとは言えないのはエジルが刺青を入れているからです。イスラム教では親からもらった体に傷をつけるのはハラムです。)毎年イードの時にはトルコ語でイードを祝ってます。トルコ国内で大多数を占めるイスラム教徒の少なからず人がイスラム国家を推し進めるエルドアンを支持しています。

そして何よりドイツ国内のトルコ人はエルドアン支持が多いのですドイツ国内にはトルコ人有権者は300万人以上いてそのほとんど(8割ぐらい?)はエルドアン支持です。
対してアメリカ国内のトルコ人有権者(20万人ぐらいか?)は8割ぐらいエルドアン嫌いです。(含私の妻)
ですから以上のことを鑑みてエジルがエルドアン支持してる可能性はかなり高いと思います。

エジルは6月にエルドアンが国内の景気悪化を見越して早めた選挙があるのを知っていたはずです。5月に彼と写真を撮れば7年もの付き合いがあるのであるから利用される可能性があるのはわかっていたでしょう。もっともよっぽどアホなら思い浮かばなかったかもですがここまで成功してトルコ語英語ドイツ語に堪能な選手がアホということはあまりなさそうだと思います。

おそらくエルドアンを助ける意図はあったのではないでしょうか。それが思いもよらず大事件になってしまったというのが可能性が高い真相だと思います。なぜ会ったかについては以下のように言っています。

Although the German media has portrayed something different, the truth is that not meeting with the President would have been disrespecting the roots of my ancestors, who I know would be proud of where I am today.  For me, it didn't matter who was the President, it mattered that it was the President.

(Part I / III)

これは西欧的価値観から言ったら破綻している論理です。第一に故郷と政治的機構である政府はあまり関係がありません。第二に職務と党は厳密には独立しています。第三に西欧的価値観ではあまり先祖に重きをおきません。

トルコという民族および国家は現共和国の前に既に存在していました。大統領と会うことがなぜ先祖に敬意を払うことになるのでしょう?実はトルコの人々はすごく愛国的なのです。これは愛国心が暴走して第2次世界大戦に突入したドイツや日本とは大いに異なります。2016年にクーデター未遂があった時にトルコ人は自分たちの国家がこんなことになって涙した人たちが多かったのです。

翻ってアメリカ、日本、ドイツなどでは国家は単なるサービス提供の主体であり政府と国家の非同一性は国民の大多数が知っています。政府に懐疑的であれというのは啓蒙主義の伝統から普遍になっているのです。

エジルの主張を信じるのであれば彼の国家に対する考え方はトルコ的です。しかし私は大統領という職務に敬意を払ったというのは言い訳だと思ってます。実際同じ代表のジャンは招待を断っているのですから。エルドアン以前の(前憲法下の)アブドゥッラーギュルとは会ったのでしょうか。

先祖に関してですが西欧的価値観で大事なのは現在の個人であり先祖を敬うのはまあ言ってみれば神を信じるとか星占いを信じる程度の話です。しかしトルコでは(古代ローマのように?)先祖を大事にするのを尊びます。初対面の人と会った時まず聞くのが家族がどこから来たかです。トルコ人は色々混ざっていて多民族国家のオスマン朝の時に動き回っていたので聞いても何があるのかわかりませんがまあ日本での高度成長期の前のようにお国はどこですかと必ず聞くのです。

 

エジルには悪気はなかったのかもしれませんが国家の代表として戦う以上国家の価値観の体現に疑問符がつけられるかもしれない行動は避けるべきだったでしょう。(これは日本で話題になる国歌を歌うとかのレベルの話ではないです。いわば法の支配を信じないレベルです。エルドアンは過去2年間憲法を停止していました。大統領選挙後に戒厳令をようやく解除しました。) 西欧では個人の自由は神聖で不可侵の権利です。しかしトルコでは法的にはそうですが国民意識的にはそこまで重要視されてないのです。でなければ言論統制をここまでやっているエルドアンがこう何回も再選されないでしょう。

 

エジルが言ったようにドイツ国内でおそらく人種差別も多々あったと思います。しかしそれだけに彼への攻撃を全て彼の主張のように負わせることはできないのではないでしょうか。私はエジル代表引退問題は人種差別とエジル、ドイツメディア双方の価値観への無理解の方が大きいと思います。そして彼は国の代表であるのでやはり根本的にはドイツが広めようとしてる個人の自由と尊重という価値観に反すると取られる行動は取るべきではなかったと思います。